さとうさんのキロク

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【ブログ・記事】自分がいなくても仕事は進む

毎朝はてなブックマークをザーッと見てから出社しているのですが、今日も気になった記事・ブログで共感できたことがあったので紹介すると共に、自分の意見も書いてみようと思います。


紹介する記事は「職場に責任感など感じるな。あなたがいなくても仕事は回る」です。

あなたがいなくても仕事は回る

サラリーをもらって仕事をしている人が、こういう責任感を抱いてしまうのは構造的に歪んでいるでしょう。「自分が欠けたら仕事が回らなくなる」のなら、それはあなたの努力不足なのではなく、経営者のリソース配分が狂っているだけの話ですから。なんで自分のせいにするんですか。それは経営者と、会社の仕組みが悪いんですよ。

その通りです。会社が間違っている。一人の人間に依存する形で業務が回っていると感じる風潮、空気を作り上げられている。帰りにくい雰囲気なんてのもこのへんの属性、香りを持っています。以前の私の記事「【仕事】鬱とか頭痛とか社畜とか勉強とか」で書いたように、私もそんな風に考えていた時期、自意識過剰極まっていた時がありました。お陰様で病気になり医療費の領収書と薬局の袋で自宅の机があふれたこともありました。


また、「自分が欠けたら仕事が回らなくなる」というのも、ほとんどの場合、嘘です。


はい。ウソです。欠けて仕事が回らなくなるという事態は経営者や上層部の責任者が不在の場合くらいだと思います。最終決定権が無い社員やアルバイトが勝手に判断して実行してはいけないタイミングがそれなりに存在します。だから経営者達は自分の会社のために死ぬほど働くべきです。自分の会社なのだから。もちろん株式会社なら株主のために経営者は頑張ればいいです。しかし社員は違います。新しく雇えばいいと思います。足りなければ。。。会社や上司がよく言う「お前が必要だ!」なんてのは、人を新しく雇うコストと教育のコストが勿体無いから言っています。
(上司から見て感情的、感覚的に、扱いやすい社員だからとも言えます。もし本当に使える人なら役員にしてあげてほしいです。そして一緒に株主のために苦楽を共にすればいいと思います。おそらくそんなことはしないでしょうけど。自分の地位が危なくなりますし。


何故人は自意識過剰に陥るのか

彼らが仕事をある種の「癒し」として捉えているからです。彼らにとって職場は存在意義そのもので、職場に行かなければ、自分が生きている意味を保つことができないのです。職場に行けば、仕事があります。仕事は辛いかもしれませんが、あなたのことを求めてくれる人がいます。そこに行けば、存在意義を見いだせます。成長している気もします。この「癒し」がエスカレートすると「自分が欠けたら仕事が回らなくなる」という危険な思い込みに至ります。


こういうのを社畜と言うのでしょうね。いや、自分がそうでしたからそうです。自分が癒されているから、周りにも強制すらしたくなってくる。自分の喜びをさらに活かすためには周囲に見てくれる人も必要で持ち上げてくれる人も必要です。結局周囲にも押し付ける自分のエゴでしか無いというか、迷惑極まりない話です。昔の自分の周囲の人達ごめんなさい。今更ですが。。。それを今は反省し、新人や後輩にムリしないで明日に回せる仕事は回すよう指導しています。みんな平たく補えるような仕事をするほうが結果的に上手く回ります。


あなたも、ぼくも、そんなに重要な人物ではない。それでいいじゃないですか。自分の人生を生きましょう。

責任を取らない経営者のもとで、責任感を全面に背負って自意識過剰に働かなくても大丈夫です。


一時言われていたオンラインゲームのFF11で「私が寝るとみんな死んじゃう」という名言がありましたが、そこまでするゲームもありません。
※参考 「私が眠ると、みんな死んじゃう」 “ネトゲ廃人”その悲惨な実態


ムリしないことが、何よりも大事です。一度きりしか無い人生です。他人が作った会社に命を削ってまで過剰サービス、奉仕する必要などありませんので、楽しく生きるべきです。(サラリーマンというか会社員で「仕事が楽しいから俺はやってるんだ!」という方はソレでもいいですが、共感してもいない他人を巻き込むのは止めましょう)

会社の仕事なんて大半が誰でもできる仕事です。